明るく、生きる。

両親からの虐待を克服し、明るく生きるための私の指針。

心の痛み

父から受けた暴力は、私のトラウマになっている。

 

以前の交際相手と口論をしているときに、相手が片手を少し上げただけで、殴られると思い体が委縮してしまいました。

 

 

 

私は殴られたことを忘れ、それを気にしないようにしようと努めていましたが、心の奥底にはあの恐怖が忘れられずにいました。

 

 

 

さらに私は妹が自分に反抗的な態度をとった時にもたたいてしまうのです。

 

まるで父と同じように。

 

 

 

私は自分のトラウマと向き合うために、父と話し合いました。

 

 

 

非行にも走っていない、親を殴ったこともない、学校で問題を起こしたわけでもない。

 

 

 

それなのに口の中が血だらけになるまで殴られたり、胸倉を掴まれて床にたたきつけられたりされて本当につらかった。

 

 

 

私はそう父に打ち明けました。

 

父はきっと少なからず申し訳なく思っているのだろうと、私は信じていました。

 

きっと殴っている本人も辛かったのだろうと。

 

しかし、父はお前は殴られて当たり前の人間だと言いました。

 

 

 

非行に走らなかったのは親がそう教育してやったからだ。

 

 

 

お前は生まれつき気性が荒く手が付けられない。

 

 

 

親と子供は対等ではない、思い上がるな。

 

 

 

子どもが親に反抗することが悪なのだ。

 

 

 

親に対して反抗的な態度をとったから力づくで黙らせたんだ。

 

 

 

父が全く申し訳なく思っていないし、謝るつもりもないと言ったとき、私は「ああ、父は私のことは本当の意味で大切には思ってくれていなかったのだ」と思いました。

 

 

 

そのとき、私は決定的な何かを感じました。

 

この人たちと私は絶対に相いれることはないのだと。

 

父と母は親が絶対であり子供は服従すべきという考えの持ち主で、私は対等性と一個人としての尊重を求めていました。

 

 

 

根本が違うのです。

 

分かり合おうとする努力さえも無駄なのです。

 

 

 

私は親に気持ちを理解してもらいたいという希望を諦めました。

リストカット

私には小学6年生から高校1年生まで自殺願望があった。

 

誰からも愛されておらず、生きている意味が分からない。

 

そう思っていた。

 

 

 

深いものではないが、何度かリストカットをしたこともあった。

 

誰にも相談できず思い悩んでいた。

 

 

 

中学生のある時、私はまた母に怒鳴られていた。

 

私は母に言い返した。

 

 

 

「母は私の気持ちなんかわかっていない。」

 

 

「私は長い間思い悩んでいることがあり、死にたいと思っている。」

 

 

リストカットもしていた。」

 

 

 

それを聞いた母が言ったのは。

 

 

 

「証拠を見せてみろ。」

 

 

 

だけだった。

 

 

 

その時にはリストカットの傷は治っており、母に見せられるようなものではなかった。

 

私がためらっていると、母は私を嘘つき呼ばわりした。

 

 

 

「証拠を見せられないなら嘘だ。」

 

 

 

「お前は親の気を引こうと思って嘘をついているだけだ。」

 

 

 

私はそれを聞いて、悟ったのだ。

 

私には親の愛情を受けることは許されていないのだと。

 

悩みを、辛さを誰かに打ち明けることができないのだと。

母の衛生観念

母はアスペルガーだとすでに書いたが、衛生観念もかなりおかしい。

 

 

 

冷蔵庫の中はカビが生えたり、腐ってドロドロになった食べ物が奥底に眠っている。

 

その上に新しい食材を置き、それも腐ったらそこにあるヘドロのようなものとまじりあう。

 

正直言って信じられない光景だ。

 

私はあの冷蔵庫に入ったものを食べたくない。

 

 

 

加えて3年前、4年前に賞味期限が切れた食べ物をさも当たり前のようにして食べるのだ。

 

そんな衛生的でないものを普通は口にしようとは思わないし、加えて500円しないようなものを食中毒にかかるリスクを冒してまで食べる意味が分からない。

 

 

 

母は片付けもできない。

 

寝室は母の洋服で埋め尽くされており、客間と妹の部屋は色々なものがぐちゃぐちゃに詰め込まれていて、とてもじゃないが人が入れる状態ではない。

 

さらにリビングのテーブルも7割以上が母のもので絞められており、食事は残りの3割部分を使ってひっそりと食べる。

 

椅子の上にも様々なものが置いてあり、半分は使用不可能なため、家族で食事をする際は入れ替わりで食べることになっている。

 

 

 

母は「ものを捨てる」という行為ができないのである。

 

 

もちろん私は片付けようとした。

 

しかし、見かねて私や他の家族が腐った食材を捨てようとしたり、もう何年も前の雑誌を捨てようとしたりすると、母は怒り出すのだ。

 

 

 

私のものを勝手に触るな!

 

 

それはまだ食べられる、使えるものなんだ!

 

 

私の目の前で片づけをするなんて、私への当てつけか!

 

 

 

そんな訳の分からないことを叫びだし、突然不機嫌になる。

 

母の見ていないところでこっそり捨てても、ゴミ袋から引っ張り出して、元の場所に置く。

 

だから私たちは、現状を把握しながらも、このゴミ屋敷を放置しているのだ。

 

 

 

母がいなくなったら、一体だれがこの家を片付けるのだろう。

悲劇のヒロイン

小さい頃、私が母に叱られて泣いているときに必ず言われる言葉があった。

 

 

悲劇のヒロインぶってるんじゃない!!!

 

 

母は、私が本当は悲しくもないのに、自分を哀れみ、悲劇のヒロインだと思い込んでいるから泣くんだと言った。

 

 

その言葉を繰り返し聞くうちに、私は親の前で泣くことはなくなった。

 

泣いてもさらに叱られ、殴られるだけだ。

 

泣かないで必死に耐えたほうがましだ。

 

 

 

加えて私は、自分が悲しんで涙を流してはいけない人間だと思い込むようになった。

 

自分は本当は悲しくないんだ。

 

ただ甘えて自分が悲しいと思い込もうとしているだけで、悲しさなんてこれっぽっちも感じていないんだ。

 

そして自分の感情がわからなくなった。

 

父親に殴られているときも、無表情で耐え続けることが多くなった。

 

 

 

私は今でも自分のことで泣くことをあまりしない。

 

その代わり、体が反応する。

 

睡眠時間を削って検定試験の勉強をしていた時や、上司からの無茶ぶりで残業を続けていた時、友達との関係がうまくいっていなかった時。

 

私は自分が悩んでいたり辛いと思っていることに気づいていなかった。

 

だが、そういう時に必ず顔中にニキビができたり、蕁麻疹が出たり、胃がどうしようもなく痛くなるのだ。

 

 

 

体が悲鳴を上げると、自分はもっと悲しんでもいいんだと思い知る。

子の心

私は小学生のころから父に、母に殴られ始めた。

それは頻繁なものではなかったが、1つ1つが重く、そして血が出るまで、あざができるまで殴られた。

 

 

小学5年生のある日、父は私が泣き続けていることに激高し、いつも通り私を激しく殴り、投げ飛ばした。

そして珍しく、他人から見える場所にあざができた。

 

 

翌日、私が学校に行くと、友達に尋ねられた。

 

 

「そのあざ、どうしたの?」と。

 

 

私は、真実を言うことが怖かった。

私が殴られていることを皆が知ったら、お父さんはどこかに連れていかれてしまう。

 

 

幼いながらにそう思った私は、咄嗟に「転んだんだ」と答えた。

 

 

今から思えば、あの時正直に話して誰かに助けてもらえばよかったのだと思うし、父は誰かに裁かれるべきだったとも思う。

 

 

しかし、あの時の私は父から、母から離れることが恐怖でしかなかったのだ。

どれだけ怒鳴られようと、殴られようと、幼い私は父と母を大切に思っていたのだ。

 

 

よく漫画やドラマで、虐待された子どもが虐待を認めないシーンを見るが、自分を投影してとても辛くなる。

 

 

どんな子でも、幼いうちは皆親を愛しているのだ。

そして親も自分を愛してくれていると信じているのだ。

 

 

だからどんなに辛くても親と共にいることを選ぶ。

父は母の奴隷だ。

 

 

何をするにしても母の顔色を窺い、母のやることには一切の口出しをしない。

例え母が家事を放棄しても、黙ってひたすら耐えしのいでいるのだ。

 

 

父は快活な性格ではなかった。

どちらかというと寡黙で内弁慶なので、家では母や子どもたちとよく会話をするが、外ではあまりしゃべらない。

友達もおらず、酒、たばこをたしなむこともない。

 

 

そんな父が唯一好きなものがギャンブルだ。

これだけは母から何を言われてもやめようとしない。

もちろん、子供たちが恥ずかしいからやめてくれと頼んでもやめない。

やめようとする意志も持っていないのだ。

 

 

そんな父も母と同様に、子供が親に口答えすること、逆らうことを許さない。

カッとなったらすぐ子供を殴る。

手加減はない。

 

 

私は口の中が血だらけになったこともあるし、体中に青あざができたこともある。

それでも父は決して反省はしない。

 

 

母に逆らえない分、私に対し怒りをぶつけてくるのである。

私の母はアスペルガーです。

他人の気持ちを理解できず、自分が良いと思ったことだけをひたすら行い続ける。

空気が読めず、余計なことを話しすぎて周りから孤立していく。

 

 

 

今でこそ毒親ですが、私が小さい頃は彼女は私にとっての全てであり、彼女こそが正でした。

 

 

 

それが変わってきたのは小学校に上がった頃からです。

 

私は幼稚園の頃から塾のようなものに行っていたため、小学校低学年で勉強することはある程度理解していました。

ですが、おっちょこちょいな性格だったので、いつも100点ではなく95点や98点を取ることが多かったのです。

 

母はそんな私をいつも怒鳴り散らしていました。

 

 

 

なぜ100点じゃないんだ!!!!

 

 

 

〇〇ちゃんは100点だったのに、どうしてお前はできないんだ!!!

 

 

 

そのため私は、テストでいい点数を取ってほめられたことなど記憶にないのです。

母にとっては100点が当たり前。

塾に通わせてやったんだから、それくらいはやってこい。

そういう考えだったのでしょう。

 

 

 

彼女は決して頭の良い人間ではありませんでした。

中学校での成績も普通で、高校も偏差値が50くらいのところに進みました。

大学に進学したかったそうですが、金銭的、学力的な理由で断念したそうです。

 

 

 

そのような過去も相まってか、彼女は自分のことを本当は頭の良い人間だと思い込もうとしていました。

さらに自分の夢を託すように、子どもたちにも「完璧」を求め、教育には並々ならぬ力を入れていました。

 

 

 

私を殴るようになったのもこの頃からでした。

母は私が少しでも自分の教えに反することをすると、尋常ではないくらい怒鳴り散らしました。

そこで私が少しでも反論しようものなら、自分を抑えきれなくなり、殴ってしまうのです。

 

 

 

幼稚園まではやはり私は口答えも少なく、まだ扱いやすい子供だったのでしょう。

しかし小学校に上がって、口も達者になり、知能もだんだんついてきた私は、母にとって制御できない厄介な存在になったのでしょう。

 

 

 

子どもが自分の思い通りにならない、だからこそ母はこのころから「毒親」になったのだと思います。